博物馆の高远桜

きざえもん昔话

故高瀬喜左卫门の少々へそ曲がりのエッセイです。

その1 父 

同性の亲子というものは生きている时はお互いに反発する点が多いけれども、亡くなって三十年も経つと妙に懐かしみだけがよみがえってくるものである。

わたしの父は、世间からは谨厳実直の代表みたいに思われ、事実その通りであったが、子どもには、もう少し别な顔も见せていた。これは、一种の「照れ」から出たことに违いないのだが、答えられるはずのない质问を子どもに向け、最後には自分みずからが解説して、悦に入る癖があった。特に、外に出て、面白くない事があった日に多かったかと思う。

父が市会议员をしている时であったろうか「改良炭焼きかまどとはどんなものだか知っているか?」と矢を向けてきた。科学雑志の知识をひけらかして、収量がどうの、同时にとれる酢酸がどうの、と答えると、「そんな事をきいているのではない。あれは补助金を出している间は行なわれ、补助金を廃するのと同时に廃されるかまどのことだ」ときたものである。多分その日、役にも立たぬ补助金での、面白くもない议论があったのだろう。

几何の本を広げて、直线の定义は、などというくだりを勉强している时だったかも知れない。「楠正成の定义がいえるか」ときた。さすがに答えかねているとみずから日く、「人にて造り、忠义のために用いるものなり」と。乱暴な定义だといったら、実は学生时代の先生からの受け売りだ、と白状してくれた。世の中はこの顷から「忠义のために用いられる」若者がふえ、父が可爱がっていた店员が戦死したりした。まさか、そこまで见通していたのでもないだろうが。

わたしは、父が本当にいいたかった事を记忆しているのだろうか。それとも、付録の冗谈の部分だけを面白がって思い出しているのだろうか。今となっては寻ねる术もない。

(昭和五十二年五月十五日)

喜左卫门着 「雪の中の纳豆」より (一部割爱)

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